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JR北陸本線に乗り、滋賀県の長浜に行ってきた。 大阪では晴れていたのに、電車が米原にさしかかると大雪に。 どういう原理か琵琶湖のおかげで冬でも寒さがやわらかな滋賀県。 京都米原から滋賀県に入ると、この大雪が雨に変わってしまい、それはそれでなんぎ。 滋賀県の長浜は、江戸時代の豪商の邸宅や、明治〜大正時代の西洋風建築物などが今なお往時の姿のまま保存されている、目の保養になるレトロタウン。 ガラス製アンティークの保管及び展示量は日本最大級を誇るという。 日本の近代史を紐解くならば避けては通れない、街ごとタイムカプセルのようなエリアだ。 そんな長浜には、ほとんどのガイドブックが無視し素通りする“昭和建築の秘宝”がそびえている。 それが「長浜タワー」。 「東京タワーや京都タワーなら知ってるけど、長浜タワーなんて聞いたことがないぞ?」 そういぶかしく思う方もおられるだろう。 福山雅治が「♪東京にも、あったんだ」と歌ったように、実は長浜にもあったんだ、タワーが。 昭和の少年学習雑誌の空想科学ページに載っていそうな、駄菓子風味SFなデザイン。 「ピ ピ ピ」と音を出して電波を発しそう。 「遠くにある高い塔」かと思いきや、正体は「けっこう近くにあるうえミニサイズ」。 東大阪名物(?)のハンドメイド城「小阪城」を初めて観たときに近しい、ほほえましいガッカリ感。 この展望塔「長浜タワー」は、オーナーの死後に封鎖され、もう昇ることはできない。 未だ撤去されず勇姿をとどめている奇跡に胸をときめかすよりほかはない。 一見、びわ湖タワーのように「廃墟か?」と勘違いしそうな退廃的外観だ。 が、一階では現在も長浜名物「鴨うどん」などがいただける湖国料理店が営業をしており、さらに驚いたことに、かつてのオーナーの奥様が封鎖部分にて居住しているという。 この長浜タワーが建設されたのは昭和39年。 「東京タワーのよう名所を長浜にも」と、なんとオーナーが生前、私費を投じて建てたのだという。 昭和33年に東京タワーが建てられて以来、日本のいたるところに異母姉妹塔が屹立した。 しかし「私財で」となると、それほど多くの例はないだろう。 受信専用アンテナは設置されていたもののあくまでお飾りであり、東京タワーのように電波の送信や中継などには用いられなかった。 そんなことよりも「わが街に、東京には負けへんシンボルを」という強い想い、タワー・オブ・パワーこそが肝要だったのだ。 実際、現在は手すりなどの塗料が褪色しているが、できたばかりの頃は目にも眩いピンク色。 いまのように周囲に高層な建造物がなかったため、そうとう目立っていたという。 見あげれば「昔は街のために自腹でこれほど豪華な(かつユニーク仕上げな)ものを建ててしまう豪傑なお大尽がいたんだなあ」と、胸が熱くなる。 前面に大きく「NAGAHAMA TOWERBILL」という看板が掲げられている。 おそらく「BUILDING」のことを言いたかったのだろう。 想いあふれて先走った感じ、よりいっそう愛らしい。 この長浜タワーの足元にある大衆食堂も、味わい深い。 「みなみな様 小さな食堂・大きく感謝」。 感謝の気持ちが大きすぎて、一瞬店名がわからない。 |
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